このまま自分を騙して数年間ドライを続けても、良心の呵責に耐えきれなくなって、きっと先では店を閉めてしまうだろうと思った。
どうせ先でやめるなら、今、自分の心に正直に生きよう。自分の生き方を選ぼうと決心した。
しかし、私には知恵もない、水洗いの経験もない、どうすればいいのか途方に暮れてしまった。
心の声は、「お役にたてる自分でありたい。真っ直ぐに生きたい。」と叫んでいた。自分の生き方が、大自然の法則に従ったものであるならば、きっと道は開かれると信じたかった。
その時、私は、右も左もわからない真っ暗闇のトンネルの中に、一人たたずんでいた。
しかし、「この先、世の中の流れは、環境、健康、と言う方向に必ず向く。自分が目指すクリーニングが必要とされる時が来る。」と、ずっと遥か向こうの先の点のような光は見失わなかったのだった。


「ドライ機を捨てる」と決断した時、色んな波紋を呼んだ。
私を理解してくれる人は誰もいなかった。言いようのない孤独と不安で押しつぶされそうだった。
出入りの資材商や設備屋それに同業者から、「理想と現実は違うよ」「遊びでやっているんじゃないんだよ」「ドライ機を捨てることは、廃業を意味するんだよ」「自滅行為だ」と様々な忠告を受けた。

ドライ機を撤去する日がやってきた。

撤去する業者に「本当にドライ機を撤去してもいいのか」と何度も念をおされた。
ドライ機が運び出される寸前まで「今まで家族の生活を支えてくれてありがとう」と何度も何度もタオルでドライ機を拭いている自分がいた。悪いもの(ドライ機)を捨てるとせいせいするのかなと思っていたが、いざとなると心中は複雑だった。
ドライ機が運び出されるその時、一粒の涙が頬をつたった。
涙で裏のナンテンの赤い実が滲んで見えた。


いきなりドライ機を捨てた理由は、あればどうしても頼ってしまうからだった。
自分を崖っぷちに立たせて追い込まなければ、なかなか本気にはなれない。それに、生ぬるい状態の中では、何も生まれてこないのではないだろうか。振り返れば、今までいつも自分をそうやって追い込んでやってきたように思う。
私は、中途半端が嫌いで、すぐに強行突破をしたくなるのが悪い癖のようだ。これでも今はちょっと反省している。
しかし、この性分は治りそうにもない。どうもつける薬はなさそうだ。


さて、ドライ機を捨て、合成洗剤やその他、化学物質を使用しないと決心はしたもののすべて手探りの状態だった。化学物質ゼロ全品水洗いクリーニングを目指して、命がけともいえる悪戦苦闘の日々がはじまるのだった。
そして、自分の道を選んだ時、私と3人の子供たちとの4人の生活がはじまった。
長女11歳、長男10歳、次男8歳の冬だった。